愛知県テニスサーチ |
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フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』参照 豆知識コーナー |
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| 【テニスとは】 ネット越しにボールをラケットで打ち合う球技。リアルテニス、ロイヤルテニスやコートテニス、 ローンテニス、ソフトテニス(軟式テニス)等があるが、現在では単にテニスと呼ぶ場合、 ローンテニスを指す。但し日本では事情が異なり、硬式テニスと呼ばれたり表記されることが多々ある。 これはソフトテニス(軟式テニス)と区別するためである。日本においては単にテニスという場合、ソフト テニスを指しているのか硬式テニスを指しているのか曖昧なことが多々ある。庭球(ていきゅう)とも表記する。 ソフトテニス(軟式テニス)は日本へテニスが紹介された当時、テニス用具の国産が難しく輸入品が高価で あったため、比較的安価に輸入(独)できたゴムを材料としたボールが使われたのが始まりである。 アジアを中心にプレイされていたが現在は全世界に普及しつつあり、2007年の第13回世界選手権には40カ国を こえるエントリーがあった。ダブルスを主体というイメージが強いが、1994年以降シングルスのルールも 整備されている。 また、硬式テニスとは違うルールも一部ある。 |
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| 【日本のテニス界】 日本へのローンテニスの伝播については諸説あり、いまだ詳らかではない(なかでは1878年にアメリカのリーランドが 文部省の体操伝習所で紹介したという説が広く流布しているが、確たる証拠はないとされる)。 用具の調達が困難で あったことからゴムボールを使う日本の独自の軟式テニス(現在のソフトテニス)を考案し、独自の発展を遂げた。 その軟式テニスで育った選手(熊谷一弥、清水善造、佐藤次郎等)が硬式テニスに転向し、欧州、米国に転戦し始める。 彼らはその独特のテニス(軟式テニスで培われたドライブ)で大活躍し、世界を驚かせた。清水は1920年の ウィンブルドン選手権「チャレンジ・ラウンド」で決勝に進出し、当時の世界ナンバー1だった米国のビル・チルデンに 肉薄した。またその年に開催された第7回オリンピックで日本がシングルス、ダブルスともに銀メダルを獲得した (尚このメダルが日本のオリンピック最初のメダルである)。また熊谷が主に米国で活躍し、クレーコートで無類の 強さを発揮した。佐藤は当時の世界ランキングで3位まで昇りつめたが、1934年4月に遠征中にマラッカ海峡で投身自殺 をする。1970年代には日本でもプロ選手が登場、そのプロ第1号(戦後初のトーナメントプロ)である神和住純 (父が軟式テニスの全日本チャンピオン、本人も軟式出身)が世界を転戦する。神和住は主に「WCTサーキット」で活躍し、 当時のトップ選手だったスタン・スミスを2度破るなどの活躍を見せた。近年は松岡修造の健闘があった。 平均的な成績(アベレージ)はいくらか低かったものの、ピーク時は限りなく高く、時にトップランカーと互角に渡り合い、 そして倒した。1995年ウィンブルドン選手権男子シングルスでのベスト8は大健闘といっていいだろう。 それ以後、日本の男子選手で世界トップレベルに近づいた選手は少ないが、2008年に錦織圭が18歳で日本人 最年少ツアー優勝を果たして全米オープンでも4回戦に進出、世界ランキング100位以内に入った。 女子では1975年のウィンブルドン選手権女子ダブルスで、沢松和子とアン清村のペアが初優勝したことが日本テニス界 の起爆剤となり、世界挑戦を目指すプロ選手が増えてきた。1980年代に活躍した井上悦子はその先駆者的な存在 となる。やがて、1989年にプロ転向した伊達公子が、1990年代に目覚ましい大活躍を遂げ、日本人の女子テニス選手 として初の世界ランキングトップ10選手に成長した。同時期には沢松奈生子、雉子牟田直子、長塚京子、神尾米、 遠藤愛、佐伯美穂、吉田友佳、杉山愛等が次々と世界ランキングトップ100入りし、日本女子テニスは全盛を築く。 平木理化の1997年全仏オープン混合ダブルス部門での優勝もあった。しかし伊達が1996年に引退した後、 他の選手の勢いも衰えた。2004年2月に杉山愛が世界ランキング8位を記録し、日本人女子として2人目のトップ10入りを 果たしはしたが、杉山と浅越しのぶ(伊達の後輩にあたる)の活躍に頼りきりの状態が長らく続いてきた。 その浅越しのぶは2006年を最後に引退を表明。森上亜希子、中村藍子、森田あゆみなどの今後の活躍が望まれている。 |
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